嬉野忍者調査 判定結果

2018年2月25日(日)嬉野市体育館で開催しました「第3回うれしの温泉 忍者フェスタ」にて、嬉野と忍者に関わる7項目の発表を行い、忍者学の有識者である三重大学の山田雄司教授と、福岡市の歴史研究家 中西豪先生からの判定結果をお知らせいたします。

「佐賀忍者は実在」知事に報告

忍者が知事に“密書”中身は…


経緯と趣旨


NPO法人九州忍者保存協会の依頼で、平成29年9月から佐賀戦国研究会が調査に参加。新出史料である『田原(たばる)氏系図』に基づく田原氏の研究調査を中心として、嬉野市の歴史上、忍者と思われる人物、またその要素を各史料から探し出し、報告する。忍者かどうかの判定および認定は、会場に臨席の三重大学教授・山田雄司氏と、歴史研究家の中西豪氏により行われる。

忍者および忍術の定義

(『忍者の歴史』P.9~17 山田雄司氏の定義に基づく)


【忍者とは】忍術を使用する者、間牒、間者、スパイ。情報収集役。工作員。狭義では「忍び込む者」。

【忍術とは】総合的知識に基づくサバイバル術。

 

「忍術書には、心構え、侵入術、破壊術、武術、変装術、交際術、対話術、記憶術、伝達術、呪術、医学、薬学、食物、天文、気象、遁甲とんこう、火薬など多様な記述がなされている。何事にも耐え忍び、人間の気質や自然環境、社会環境を掌握する(術)」。

 

<忍術の中の変装術>

「『正忍記』の変装術に七方出(しちほうで)がある。姿形だけ真似るのではなく、言葉、知識、作法なども本物で出発する。

一、虚無僧こむそう、二、出家(僧)、三、山伏、四、商人、五、放下師ほうかし(大道芸人)、六、猿楽さるがく、七、常つねの形(普通の姿であり、目的にあわせた姿が選べるので臨機応変に変化しやすい。)七方出のすべてが人に近づきやすく、化けた職業も修行でプロ級である。」

(『万川集海ばんせんしゅうかい』「はじめに」P.9~10 中島篤巳氏解説)

忍術の中に包括される山伏の技


「忍術の成長に関係した多くの職種のうち、中世芸能集団や宗教集団は特筆に値するだろう。例えば吉野大峰山修験道だけ挙げてみても、修験者たちの連絡網、法螺貝ほらがい通信、明松法、山野跋渉術、呪術、精神統一法、薬法、山伏行、地形解読、夜間行動、経路発見、水や食の確保など、忍者の得る所は多い。弱者が多方面に積極的に参加して、多種多様な技術を吸収し、消火吸収したものが忍術であり、その多様性が生活全般を支える技術にまで拡がったと考えてよいだろう。」(『万川集海ばんせんしゅうかい』「はじめに」P.2 中島篤巳氏解説)

 

「(山伏は)山中でも怪しまれず、集団で行動可能。刃物や火物を携行しても不審がられず、錫杖は武器。長く、角のある最多角の数珠や前顔八分につける頭襟などは金属にすれば立派な隠し武器。山駈けの索さく縄じょう(螺かいの緒)というザイルで右腰に十六尺、左腰に二十一尺ほど携行し、また法螺で通信するなど、忍者には好都合な姿だ。」(同上 P.10)

佐賀藩祖・鍋島直茂が「忍」を使っていた事例


『(肥後国の国衆・小代宗全)人数三千人を指さし副そえて、(龍造寺)隆信公の御陣に取掛る。(鍋島直茂)公兼かねて小代が城下に忍を被入置いれおかれしかば、彼かの忍の者走来て、斯かくと告つぐる。(直茂)公被聞召、得たりと健兵二千余人引勝て、道に被出向でむかれ、木陰叢くさむらに被伏置ふせおかれ、小代が勢を遅しと待懸らる。荒尾・小代是これをば努ゆめにも不知しらず、山鹿やまが越に懸て、馬に白泡噛せ押来おしきたる、其その時、(直茂)公被伏置ふせおかれたる二千余騎を一度にどうと被起おこされ、竪たて横十文字に駈かけ立られし程に、肥後勢不意を撃れ、怱にわかに打負て、大将之小代越前守、木下四郎兵衛昌直に被打捕うちとらえられ、荒尾は辛々からがら遁のがれて梅尾に引返す。』(『佐賀県近世史料 第一編 第一巻』・『直茂公譜二』より)

 

→★ 忍者を使っていち早く情報を知り、逆に敵を待ち伏せて、鮮やかに勝利したという。

孫子の兵法『用間ようかん』のお手本の様な事例である。

忍者の要素がある、嬉野市の歴史上の人物たち